ドラマ「嫌われる勇気」とは、「人の悩みとは全て対人関係の悩みだ」とするアドラー心理学を題材とした大ベストセラーがドラマ化されたものです。
香里奈さん演じる女刑事の庵堂蘭子は、アドラー心理学を体現しているかの如く我が道を突き進み、周囲に嫌われようが気にも留めない女アドラーです。
人から嫌われることを全く恐れていない主人公の「嫌われる勇気」を人生や思想に用いれば、これまでより幸せだと感じられる事が多くなるかもしれません。
ドラマ「嫌われる勇気」から学ぶ幸せになる為の7つの生き方
自分の不幸は自分が選択したもの
ドラマ嫌われる勇気の1話。この物語中には劣等感に苛まれ、偽りの優位性を得る為に犯行に及んでしまう犯人が登場します。
偽りの優位性とは権力を持つ者と関わる事で安心感を得る心理。加害者は、ある人物を社会的に目立つ存在にする為に犯人に仕立てあげ、犯行を実行するのです。
全ては「有名人と関わりのある自分」として、特別感を得たいが為。自分の価値を上げたいからと、事件を起こしていたのでした。
しかしこのような偽りの優位性では、どうやっても幸せになれません。ドラマ内でも「自分の不幸は自分が選択したものである」と説かれています。
今の自分が劣等感に苛まれているのも、自分を表に出さずに共同体の中で特別な存在として地位を確立しようとしたのも、「自分は嫌われたくない」といった心があったからです。
嫌われる勇気を持たなければ、悩みなき人間関係は築けません。本当は嫌いな同僚や友人、上司のコバンザメをしていても、それではますます苦しんでしまうだけです。
嫌われる時は嫌われるのだと、自分は自由でいようと偽りの優位性にすがらない事こそ、幸せになれる未来に繋がるのでしょう。
トラウマはその後の人生に影響しない
2話では「ブラック企業と恋人の別れ」が題材となっており、この物語の中には、主人公の過去のトラウマや、仕事が辛くとも「変わらない」を選択する社員が出てきます。
ドラマ嫌われる勇気の2話目で登場する心理学は目的論。アドラーの目的論とは、「今の自分である原因」を過去に求めるのではなく、現在の自分の目的が原因とするものです。
とある会社で飛び降りが起きますが、それは見せかけであり、その会社では事件の1年前にも、会社で亡くなった社員がいたのです。
実はブラック企業だったこの会社、見せかけの飛び降りにより亡くなった被害者には、「部下の手柄を横取りし、その部下を追いやった過去」がありました。
犯人は1年前に亡くなってしまった社員の恋人。しかしトラウマを美談としている犯人に、「目的論」が説かれます。
ブラック企業で苦しみながら勤めているのは、自分が「変わらない」選択をした為。退職できないのは家庭や生活が原因ではなく、「それらを理由に退職を決断しない為」です。
過去にどのようなトラウマがあろうと、それが今後の人生に影響を及ぼすのではなく、「トラウマを原因として前に進めない自分」が悪影響を起こしているのでしょう。
どんなに辛い事を体験してきたとしても、「それが原因でこれからの人生が悪くなる事はない」と考える事で、これからの人生を良い方向へ変えられるのです。
人生を他者との競争に使わない
ドラマ嫌われる勇気の3話のテーマは「競争」。被害者は名門女子高の数学教師、その遺体の発見者は数学教師の教え子である女生徒です。
一見犯人は女生徒のように思われますが、しかし真犯人はその母親。犯行動機は「娘への劣等感」と「教師に娘を取られたくない競争心」でした。
どうして娘が母親の犯罪を隠ぺいしようとしたのか、それは「母親に認めてほしいという承認欲求」があったからです。
このように、「皆から認められたい」という欲求や、「誰かより優秀でありたい」という競争心を抱えていては、幾ら努力して地位を築いても満たされないままです。
アドラー心理学では「人生を他者との競争にしない」、そして「幸福の定義とは貢献感である」としています。
4話でも承認欲求による犯罪が描かれていますが、これを求め過ぎるあまりに「自然体な自分」ではいられなくなってしまいます。
「誰より優秀でなければ嫌われる」という欲求を捨て、競争から一抜けする事、そして嫌われる勇気を持つ事で、仕事でも人間関係でも楽に生きられるようになるでしょう。
対人関係の基礎は他者を信頼する事
5話では「課題の分離」が登場しました。これは「人の課題(悩み)へ勝手に入り込み、自分の課題(悩み)としない」という心理学です。
安易に他者の悩み事へ無暗に首を突っ込まない事、まずは自分の悩みに集中する事こそ、ストレスフリーで生きるコツなのです。
そして6話では「信用と信頼」が描かれており、5話で登場した「課題の分離」も物語に関わる事になります。
信用とは「他者を信じる為に何らかの条件をつけた上で信じようとする事」、信頼とは「他者そのものを受け入れ、条件なしに信じようとする事」です。
この信用と信頼を分けるものが「懐疑」、疑いを持つ事です。犯人が被害者に対して懐疑心を持ち信頼できなくなった為に事件が起こりました。
そして主人公のトラウマの元となった事件も、「ある登場人物が課題の分離を出来なかったから」起きたのだとも考えられます。
これらの心理学から解るのは、対人関係の基礎を築くのは「他者を信用するのではなく、信頼する事」です。信用と信頼を知ってこそ、より良い人間関係を保てます。
そしてやたらめったらと他者の問題に巻き込まれない事。例えそのせいで冷たい人だと思われても、自分の評判と信頼する人を守る事にも繋がります。
対人関係のゴールは貢献する事である
ドラマ嫌われる勇気7話で登場するのは「共同体感覚」。他者を自分の仲間だと考え、例えば家庭であったり、職場や学校、地域等に自分の居場所があると考える事です、
アドラー心理学では「対人関係の入口は課題の分離であり、そのゴールには共同体感覚である」としています。
課題の分離は、他者を「自分とは関係ない者」として排除するものでもなければ、「自分中心として生きる為」の心理でもありません。
他者の悩みを自分のものとして生きるのではなく、自分が自分らしくある為に自分の悩みを解決する事であり、自己中心的な考えを推奨している訳ではないのです。
そして共同体感覚は、「共同体に貢献する事」で得られるとされています。所属感(居場所)を求めているだけではなく、共同体へ貢献をして、それにより所属感を得るのです。
例えばSNSでフォロワーのいいねをより多く欲しがるのは、SNSに「自分はこのグループに居てもいいという所属感を求めているだけ」だからでしょう。
しかしこれではいつまでも所属感が満たされないまま。だからアドラー心理学では、「自分の居場所に貢献する事で所属感を得る事」を大切にするよう説いています。
自身がこの共同体に居る為にはどのような貢献をすれば良いか。その貢献を行う事で「自分はここに居てもいい」と所属感を得られたなら、満たされるのです。
家庭や会社、友人関係等でどうしても満たされない承認欲求により苦しんでいるのならば、まずは貢献しましょう。
大事なのは「より大きな共同体の声を聞く事」と「貢献に見返りを求めない事」。7話の犯人がこだわったのは貢献への見返りで、それにより嫉妬からの犯罪が起きました。
目先の小さな事に囚われ見返りを求めて貢献するのではなく、「自分がこのような行動をする事により経済が回っている」というように大きく考えるのです。
敢えて普通であることが幸せである
8話に登場するのは「注目喚起」、復讐心から犯罪を起こした犯人は、事件現場に自分の痕跡を残す事で注目喚起をして、自分を特別な存在であると他者に見せています。
努力を億劫に感じて特別に悪くあろうとする事をアドラーは「安直な優位性の追求」だと説いており、これでは幸せになんてなれないのです。
アドラーは5段階の問題行動があると考えています。1つ目は褒められたいという「賞賛の欲求」、2つ目が賞賛の欲求が満たされなかった事による「注目喚起」です。
そして3つ目が「注目喚起」の暴走による「権力争い」、4つ目にそれでも相手にされない事への「復讐」、そして5つ目が自分には意味がないとする「無能の証明」です。
8話の犯人は自分が過去に犯罪者となった原因の人物が「幸せに暮らしている現実」に嫉妬し、「注目喚起」や「復讐」を行いました。
しかしそれでは幸せになれませんし、「今、ここ」で生きているという現実を見失っては、過去のトラウマに苦しむばかりです。
「今、ここ」とは自分は一体何をしたいのか、どう生きれば満たされるのかを考え、それを実行するという生き方です。
そうすると自分が特別な存在である事を求め「注目喚起」をせずとも、「普通でも十分だ」と満たされるのです。
敢えて特別感を捨てる事で問題行動を遠ざけ、「普通だが自分なりに満足できる人生」が送れるでしょう。
トラウマを受け入れると未来は変わる
9話では、8話で刺されてしまった主人公の同僚の為、その犯人を追う事になります。そして主人公の過去を知っている登場人物に疑いの目が向けられるのです。
この物語の中で描かれるのは「トラウマの否定」、主人公のトラウマについての深層により近づく回でもあります。
トラウマとは「精神的外傷」、ある特定の体験からその後も精神的な負担を抱える事です。しかしアドラー心理学ではこのトラウマを否定しています。
例えば過去に職場でパワハラに遭い、それ以降会社が怖くて出勤出来ない程のトラウマを抱えたとします。通常であればその原因は「過去の辛い体験」だと考えられます。
しかしアドラー心理学では、出勤したくないという「今抱えている目的」に原因があり、それが「仕事が出来ない状態である」という現在に繋がると考えているのです。
それはアドラーが「過去とは主観により思い描かれた事」であり、「客観的な過去は存在しない」としているからでしょう。
人の記憶は自分に都合よく改ざんできます。トラウマも「影響(原因)から反応する」のではなく「影響が選択(原因)となり反応が起きる」と考えている為です。
2話で「目的論」が登場しましたが、9話でも「過去に何が起きようと現在には影響しない」という未来思考があり、「未来の目標が現在を規定する」としています。
主人公は全面的にアドラー心理学を受け入れた訳ではなく、「実はトラウマに囚われていた」のでした。
だから女アドラーのような態度を取りつつも、どこか周囲とはちぐはぐだったのです。
10話ではとうとう犯人であるとされる「メシア」が現れます。ここから主人公のトラウマとなった体験が紐解かれていくのです。
実は主人公には自分でも思い出せない記憶があり、それが重要な鍵となります。そして、これまで出てきた「共同体感覚」や「課題の分離」等も深く関わっています。
どうにか自分のトラウマを否定した主人公は、これによりアドラー心理学を受け入れ、「今、ここ」を生きられるのです。
トラウマは辛いものですが、それに囚われていても問題が解決する訳ではありません。そして何度も説かれている「今、ここ」を生きる為にも自分らしさは大切です。
「会社にいる上司が嫌で会社が怖い」、「恋人にフラれて恋愛が怖い」と怯えているだけではなく、今一度「会社、恋愛を怖がる現在」に目を向けましょう。
優位性を得るために権威のある者にすがって生きない
薄々気づいているのに変わらない選択をして苦しまない
他者との競争に疲弊せず自分の人生を歩んでゆく
他人を評価せず条件なしに信じて他人の悩みまで背負わない
より大きな共同体に身を置き他人に見返りを求めない
過去や未来に囚われず今ここを生きぬいてゆく
過去のトラウマを受け入れ現在の問題を解決してゆく
まるで傍若無人の見本のような、自分のしたいように行動し、嫌な事は嫌だと言ってしまう強烈な主人公が出てくるドラマです。
注意したいのが、嫌われる勇気とはこの主人公のように「自己中心的な行動・言動で、自分勝手に振る舞う事」と勘違いをする事です。
「勇気とは共同体感覚の1つの側面」であり、共同体感覚とは「人々の相互理解、信頼を交わす事」、所属感を満たすのは「見返りを求めない貢献」です。
つまり嫌われる勇気とは「嫌われてもいいから自分勝手な人生を送る」のではなく、「そのままの自分を受け入れて満たされる」事。これが幸せに繋がるのでしょう。
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